Valid HTML 4.01 Transitional

“すばる望遠鏡”と私

ラ・サール高校同窓会東京支部総会講演(5/15/1999)

ラ・サール高校5期

成相恭二


企画:黒木隆男、黒木啓文(鹿児島校19期)


このページは、鹿児島校5期の成相先生の同窓会講演をウェブ化したものです.

私どもも大きな感銘を受けた名講演だったので、出席できなかった方にも講演内容を公開したいと思い、
成相先生から原稿とスライドを提供いただきウェブ化を行いました.

写真集、ビデオと合わせてご覧ください

ラ・サール・ネット運営委員一同(5/12/2000)


ただいまご紹介に預かりました成相です.私は昭和31年に5期生としてラ・サール高校を卒業しました.その後大学、大学院を経て、東京大学東京天文台に就職し、昨年三月で定年退官するまでの34年を天文学者として生きてきたわけです.今日は文部省国立天文台が作ったすばる望遠鏡の話をいたしますが、まず最初に私が天文学者になるきっかけを作ったとも言える、ある人物の話をしたいと思います.

山口志摩雄先生

山口志摩雄先生

年配の方はこの方がどなたかご存知ですね.もちろん、われ等スッタン族の大酋長、山口志摩雄先生です.先生は平成2年12月13日にお亡くなりになり、今は鹿児島市郡元の墓地に眠っていらっしゃいます.

年配の同窓生には説明の必要はありませんが、若い人達のために少し説明をしておきます.山口志摩雄先生は昭和25年ラサール高校創立の時からのスタッフで、生物、地学を教えていらっしゃいました.35期の方あたりまではご存知ですね.授業中生徒の分かりが悪いと「わいどんのバカスッタン」とおっしゃるので、生徒一同はスッタン族になり、自らはその酋長と名乗っていらっしゃったのです.実は私は山口先生に教室で教わる機会がありませんでした.1年生の時に生物をとらず、化学を選択してしまったからです.しかし、先生が地学部の顧問だったからだと思いますが、2、3年生になると週末には時々騎射場のお宅までお邪魔してお話を拝聴していました.今になって思うと、その時に山口先生は僕に魔法をかけたのでしょう.「自分が若い時に、天文学者にもなりたかったけれど、ついにならなかった.それで成相を天文学者にしてやろう.」と、いろんな話をしたに違いないと思うのです.

先生のことに付いては最後でもう1度話します.

さて本題に入りましょう.すばる望遠鏡についてはNHKが1月末から2月にかけてニュースや総合テレビ、衛星放送の特集で放送したので、すばるのことはご存知の方が多いと思います.またサイエンス・アイのシリーズで第1回をNHK教育テレビで4月25日に放送しました.第2回が5月29日に予定されています.特集は大変よくできていて、私が今更付け加えることも少ないのですが、プロジェクトの中に最初からいたものの話としてお聞きください.

私はこの望遠鏡計画のスタートの時からのメンバーで、技術的には光学設計を担当しました.また、予算が付く何年も前から調査や交渉のためにハワイに行き、ハワイでの建設工事が始まった1992年から昨年3月まで、ハワイに国立天文台ハワイ代表として常駐し、ハワイ大学、ハワイ州、地元、工事業者との連絡に当たりました.この間のパスポート10冊を調べて見ると86年から92年までの間にハワイ往復が9回で平均滞在日数が10日、常駐してから6年間の日本往復が14回で日本での1回の平均滞在日数が15日でした.

すばる望遠鏡建設計画の動きは、古いファイルを調べて見ると1980年頃からあります.国外にパロマーを上回る大望遠鏡を、と言う計画に固まったのは1984年頃です.国内の研究者やメーカーの技術者を含む勉強会を発足させ、手分けして実にさまざまなことを調査研究しました.

それまでの日本の天文学の状況を振り返って見ますと、日本の天文学は開国以来ずっと、西欧諸国に遅れを取っていました.金が無くても頭さえあれば世界と太刀打ちできる、と言う意味で戦争前から戦後にかけては、理論天文学、天体力学の分野でよい仕事をなさった人も居ます.しかし、大きな望遠鏡を持ちたい、自分達で観測をしたい、と言うのは日本の天文学者の悲願でした.それが戦後の日本を代表する天文学者、萩原雄祐先生の努力で、東京天文台岡山天体物理観測所の188センチ望遠鏡として1度は実現します.昭和35年のことで、当時としては世界で10位以内の1流のものでした.私が東京大学の大学院に入った年でしたから、私は当然のようにその望遠鏡を使って星のスペクトルを撮り、解析をする仕事を始めました.

しかし世界も動いていました.10年、20年経つうちに各国が口径3m以上の望遠鏡を観測条件の良い場所に作り、どんどん良い仕事をするようになりました.また、観測対象も星から銀河へ、と移っていったのです.

自分達が世界のトップに踊り出られるような望遠鏡が欲しい、最先端の仕事がしたい、これが私達日本の天文学者の願いでした.この願いは東京天文台野辺山宇宙電波観測所の電波望遠鏡で、また宇宙科学研究所の人工衛星で実現します.そして今回のすばるで光、赤外線を使って地上から観測する天文学者の夢も実現することになりました.

大きな予算を使って作る望遠鏡だから、地球上でもっとも観測に適した設置場所を決めることはプロジェクトの最初の仕事でした.天文観測には自然的条件として、空気の乱れが少ないこと、晴天日数が多いこと、水蒸気量が少ないことなどが必要です.幸い1970年代に多くできた4mクラスの望遠鏡計画による調査で、2つの地理的条件が天文学の観測に適していることが分かっていました.1つは大陸の西海岸にある高山、もう一つは亜熱帯地方の大洋にある島の高山です. こうしてチリのアンデス山脈、大西洋のカナリー諸島、太平洋ではハワイ島に世界中の大望遠鏡が集まることになったのです.社会的条件としては政情が安定していること、道路、電気、通信、などの基幹設備が整っていること、技術サポートスタッフなどの人材が確保できること、日本からの交通の便が良いこと、などが挙げられます.初期には中国の雲南省、富士山の頂上なども検討はしましたが、自然的社会的条件からハワイのマウナケアに決まりました.ここは観測条件が良いので10を越える世界各国の望遠鏡がひしめき合っています.

パスポート10冊

パスポート10冊

マウナケアの山並み

マウナケアの山並み

マウナケアの望遠鏡群

マウナケアの望遠鏡群

これはマウナケア山頂の写真です.右からハワイ大学が初期に作った24インチ望遠鏡、イギリスの赤外線望遠鏡UKIRT、ハワイ大学の88インチ望遠鏡、建設中のジェミニ望遠鏡(これはすばると同じ頃完成し,動き始めています.)、カナダ・フランス・ハワイ望遠鏡、NASAの赤外線望遠鏡IRTF、ケック望遠鏡2基、われらのすばる望遠鏡、手前の谷間にあるのはカリフォルニア工科大学のサブミリ波望遠鏡、イギリスのサブミリ波望遠鏡JCMT、左端に白いものが幾つか見えているのはスミソニアン天文台のサブミリメーターアレイのアンテナを置くためのパッドです.

この山の高さは4205mあり、富士山よりも400m以上も高いのです.ここはいつも海の上を吹いている貿易風という東風の流れの中にあるので大気が安定していて、地上の天体観測には最高の場所と言われています.

天文学の世界では、パロマー山の200インチ望遠鏡を越すものは技術的にできない、と数十年間いわれ続けていました.パロマーが当時の技術の粋を尽くし、極限の努力の末に誕生したものだったからです.パロマーをサイズでも性能でも超えるために、技術的には3つの大きな問題がありました.まず第一は精確な鏡を作る事、2番目にその鏡を精確に支え、動かす事、そして3番目は空気のゆらぎを極力押さえる事です.

問題の第一は鏡とその材料のガラスです. パロマーの5m望遠鏡はパイレックスガラスを使っています.皆さんがお宅の台所の手伝いをしてなければご存知無いと思いますが、パイレックスは熱膨張係数が小さいためにオーブン用のガラス食器として使われています.普通のガラスを熱すると表面の方が内部より早く熱くなり、膨張するので割れるのですが、パイレックスは膨張が少ないのでオーブンで温めたくらいでは割れません.

望遠鏡の鏡をオーブンに入れることは製作の時以外はありませんが、外気温が変化するとオーブンの時と同じく表面と内部の膨張の差が生じるために、鏡が歪みます.鏡単体としては目的とする精度が角度で言って0.1秒という精度なので、それを達成するには熱膨張係数が小さい事が必要なのです.

ガラスの候補として、パイレックスより100倍も熱膨張率が小さいものが2種類ありました.一つはコーニング社のULE、もう一つはショット社のゼロデュアです.両方とも熱膨張率がプラスとマイナスのものを使って全体でゼロに近くするのですが、ULEは成分の混合比で、ゼロデュアは冷却時の熱処理による結晶の割合で実現しています.21世紀に活躍を始める8m望遠鏡の中で、すばるとジェミニはULE、VLTはゼロデュアを使っています.

鏡材になる外径8.3mのガラスはアメリカ、ニューヨーク州の北端、カントンにあるコーニングの工場で造られました.

パイレックス食器

パイレックス食器

これが熱に強いパイレックスで作った食器です.普通のガラスよりパイレックスが熱に強いのですが、溶融水晶はさらに強くなります.ULEはさらに工夫を凝らしています.

ULEブール

ULEブール

まず直径1.6mの円盤を作り,

ULEヘックス(1)

ULEヘックス(1)

ULEヘックス(2)

ULEヘックス(2)

それを6角形に削ります.

融合炉(1)

融合炉(1)

融合炉(2)

融合炉(2)

融合炉(3)

融合炉(3)

融合炉(4)

融合炉(4)

耐火煉瓦の炉に入れて融着させると

ULEブランク

ULEブランク

すばる主鏡の鏡材が出来ます.

サグダウンしたULE鏡材

サグダウンしたULE鏡材

大体の鏡の形に整形するためにもう1度熱してやって出来あがりです.

それを研磨のためにペンシルヴァニア州ピッツバーグに輸送しましたが、この輸送も1大エベントでした.

セント・ローレンス川を輸送

セント・ローレンス川を輸送

まず船でセントローレンス川を上り、

運河

運河

ナイアガラ瀑布の脇を運河で抜けて5大湖に入りました.そこからハイウェイを交通規制して3レーン全部を使ったトラック輸送です.

坑道入り口

坑道入り口

坑道内

坑道内

鏡の研磨はペンシルヴァニア州ピッツバーグのコントラベス社が行いました.温度変化があると鏡も歪みますが、空気のゆらぎ、かげろう、ができて困ります.この会社は元石灰岩の鉱山だった大きな地下の坑道を研磨工場に使ったので温度の変化は無く、この問題は避けられました.

干渉縞

干渉縞

正しく研磨できるかどうかは、正確な検査ができるかどうかにかかっています.これにはパロマーの時代にはなかったレーザーが大きな役目を果たしています.検査には干渉という現象を使います.光を2つに分けて、その後でまた1つに合わせると縞模様が見えます.自然光にくらべてレーザー光は単一波長である事、可干渉距離が長い事で、この縞模様を昔の自然光のときに比べて100倍以上正確に測ることが出来ます.この技術を使った、研磨技師、研磨チームの努力によって平均誤差12nmと言う精度に研磨できました.鏡を関東平野の大きさに拡大しても0.1mmの滑らかさなのです.そして、ファーストライトでは見事、星像直径0.3秒を達成したのでした.

研磨機(1)

研磨機(1)

研磨機(2)

研磨機(2)

研磨機(3)

研磨機(3)

問題の第2は支持方法、駆動方法です.

鏡の厚さは20cmあります.これだけあれば堅くてしっかりしているだろうと思われるかも知れませんが、23トンの重量、8.3mの直径と望遠鏡の総合性能として要求される星像の大きさ0.23秒を考えるとヘナヘナしているのです.従来の3点支持およびその改良型の考え方では、支持点の間がだれてしまうのでした.

ブレークスルーは支持点を多くして支持力を制御することでした.このハードルはアクチュエーターというロボットアームと、有限要素法という計算方法で越えることができました.鏡を支持する261点での力を10万分の1の精度で制御するのです.ロボットは日本の工業の得意技です.有限要素法は何百元の連立方程式を、コンピューターを使って解く方法です.いずれもパロマーの時代よりはるか後になって利用できるようになった技術です.

星像を解析して、空気の揺らぎでボケた星像をシャープにするための鏡の変形量を求める方法は各国の8m望遠鏡計画で開発され、実用化されました.

アクチューター(1)

アクチューター(1)

アクチューター(2)

アクチューター(2)

アクチューター(3)

アクチューター(3)

望遠鏡ドームと制御棟

望遠鏡ドームと制御棟

問題の第3は空気の揺らぎを極力押さえる事でした.

空気の揺らぎ、つまりかげろうがあると星、銀河がぼけてしまうので、せっかくの大望遠鏡の価値が下がってしまうのです.

建物が丸くないことに気づかれたでしょうか.これは空気の乱れを少なくする設計になっています.お椀型ではなくて円筒形になっていて、内部には風が渦を巻かないように2つの大きな壁が望遠鏡を挟んでいます.また、あちこちに風を制御するための窓が作ってあります.この形は模型を作った水流実験や、スーパーコンピューターを使った数値シミュレーションの結果で選ばれました.

また斜面に別棟が建っています.すべての制御はここから行われて、観測中ドーム内は無人です.観測室など人がいる部分には暖房が必要で、そこの熱が壁や天井を通って望遠鏡のある空間に達すると、かげろうが立って星像が乱れることがマウナケアやチリの望遠鏡での研究でこの数十年の間に分かって来ました.現存する望遠鏡では、すでにドーム内に作ってある観測室を移す事も出来ないので、床や壁に冷凍装置を埋め込んだり、赤外線カメラで熱く見える窓は断熱材で塞いだり、と言う涙ぐましい努力で観測室からの熱がドームに入りこまないようにして、星像の改良に努めてきました.マウナケアのように条件の良い所では極限まで星像を良くする努力が報われるのです.私達は望遠鏡部分と制御棟をはっきり分けた設計を採用しました.

このようなノウハウは普通の社会であれば自分達がトップになるために企業秘密としてよそには洩らさないと思います.天文学の世界ではお互いに宇宙の神秘のヴェールを自分達が最初にはがそうと競争しているのですが、この建物の熱のことでおわかりのように、明らかになった知識は人類共有の財産というようにたちどころに世界中に広まります.わたしはこれをcompete and cooperateと表現しています.ハワイのマウナケアでは各国の天文学者が一つ所で寝食を共にしていることもあって、特にこの傾向は強いと思います.

地元との交渉、地元の応援

私達が計画を始めた頃にハワイでも日本の望遠鏡をマウナケアに、という動きが始まりました.ハワイ大学の学長をしていらっしゃったドクター・マツダはそのグループの主要メンバーです.ご承知のようにハワイには砂糖黍畑の労働者として沢山の日本人が移民しました.多くの人はお金を貯めたら故郷に錦を飾るつもりだったのだそうですが、太平洋戦争が始まったため、それは叶わなくなり、アメリカ国民として生きていく決意をしたのです.日系移民の志願兵による100大隊とか442部隊がヨーロッパ戦線で活躍したのはご存知と思います.この軍隊での活躍が日系移民を見る目を変えさせ、その後帰還兵の学資を免除する、いわゆるGIビルという法律が出来たために2世達は大学に進むことができ、そして弁護士、医者、州政府役人などとして活動をすることになったのです.

現在国立天文台長の小平と私は現地調査のためにハワイを何回も訪れましたが、小平が最初に私に注意したのは、「相手が日系の人であっても日本語を使ってはいけない.アメリカ人と思って英語ですべて通しなさい.交渉が済んで雑談になったときに向こうから日本語で話し掛けてきたら日本語で応対してもよろしい」ということでした.「日系アメリカ人がそれこそ血みどろになって築いた現在の地位はアメリカ国民として築いてきたものだから、あくまでもアメリカ人として付き合いなさい.日本人だと思って甘えては行けない.」というわけです.

もちろんすべて英語で交渉は行いました.ラサール高校の朝礼で週3回マルセル・プティ先生の講話を聞いていたのが役に立ったわけです.

このような心の準備はした上で現地での仕事は行ったのですが、ハワイの人には暖かく迎えていただきました.日系アメリカ人の中には次のように感じた人もいたようです.「日本が作るすばる望遠鏡は世界一の望遠鏡らしい.私達の先祖の国が最先端の学問にそのような金と人を投じて人類に貢献しようとしているのはすばらしい事だ.誇りに思う.」と.そしてロータリー・クラブ、ライオンズ・クラブ、教会の運営委員会などの会合に講師として招かれ、すばるの紹介を何回もしました.

エピソード

ハワイに滞在中はきつい事、辛い事もありましたが、楽しいこともありました.ご存知のようにハワイでは1年中海で泳げます.引っ越してきてから毎週子供達を連れて海水浴に行っていたので、半年後には前から見ているのか後ろから見ているのかわからないくらいに日焼けしたお母さんもいたくらいです.またゴルフの好きな人にはこたえられない天国のようです.私はいろいろな都合で単身赴任だったのですが、週末は何かしなくてはいけません.2年目頃から始めたのがジャム造りでした.夏から秋にかけて、海抜1000ないし2000mの溶岩台地にオヘロ・ベリーという苔桃ににた実がなります.これをバケツ1杯とってきてジャムにするとビン50本分くらいあります.1日がかりの仕事になります.風味が良く、外では手に入らないので地元の人、日本からの訪問者に喜ばれました.皆さんに味わって頂けないのが残念です.また、ジャボティカバという不思議な木の実も使いました.1年に5回くらい実をつけます.これはシロップにしてアイスクリームにかけると何とも言えない上品な味になります.友達の中でこの木を庭に植えている人はけっこういたので、時期が来ると収穫に行ったものです.滞在中に両方合わせて4000本ほど作りました.

オヘロ・ベリー

オヘロ・ベリー

オヘロ・ベリー

オヘロ・ベリー

オヘロ・ベリー

オヘロ・ベリー

オヘロ・ベリー

オヘロ・ベリー

オヘロ・ベリー

オヘロ・ベリー

オヘロ・ベリー

オヘロ・ベリー

オヘロ・ベリー

オヘロ・ベリー

オヘロ・ベリー

オヘロ・ベリー

ジャボティカバ

ジャボティカバ

初の海外施設

現地の方との交渉のほかに、この天文台が国の初めての海外施設であることも、様々な問題を生じさせました.すばるは外務省の在外公館を除けば、国外に作られた大きな施設としては始めてです. 南極の観測基地は別です.あれは国外だけれど外国ではないのです.国の恒久的な施設を外国に設置できるか、設置した後管理はどうするか、など国有財産に関する問題、国立天文台の職員をハワイに行かせる場合に出張にするか赴任にするか、パスポート、ヴィザをどうするか、手当てをどうするかなど人事に関する問題、家族の生活、教育、医療の問題等々次から次に出てくる新しい問題を一つ一つ解決していかなければなりませんでした.こういう問題は主に国内で処理されましたから私は指令に応じて現地での情報収集、連絡に当たりました.国内では国立天文台の管理部職員はもちろんのこと、文部省、大蔵省、外務省、人事院、等に多大の協力を頂きました.

ハワイ観測所

ハワイ観測所

(ここまでが前半)

ファーストライト

さて、研磨されただけの鏡がハワイ島に到着したのは98年11月でした.それから鏡の表面にアルミ蒸着を行い、望遠鏡に組み込み、調整を行ってからファーストライトを迎えたのです.

ではすばるによるファーストライトの天体画像を見てみましょう.

土星

土星

これはおなじみ土星です.赤緑青の3色で撮って合成してありますが、合計の露出は1秒以下です.

オリオン大星雲

オリオン大星雲

オリオン大星雲

オリオン大星雲

我々から1500光年の距離にあるオリオン大星雲の中心部を近赤外線で写したものです.3色の合成画像です.ほぼ中心に四個の明るい星からなるトラペジウムが見えます.青いのはトラペジウムの強い紫外線で高温に電離されたガスです.右上に赤く見えるのはオリオン分子雲に深く埋もれているために赤外線でしか見えないクラインマン・ロー星雲です.中心に太陽の30倍の質量を持つ原始星があります.合計露出は約10分です.

1番遠いクェーサー

1番遠いクェーサー

クェーサーは宇宙でもっとも大きなエネルギーを放っている天体で、太陽の10億倍もの質量からなるブラックホールと考えられています.ビッグ・バンが150億年前としたとき、このクェーサーの距離は140億光年です.約40分の露出です.

重力レンズ、0.3秒の星像

重力レンズ、0.3秒の星像

アインシュタインの一般相対性理論によると、重力の作用によって光線も曲げられます.遠方の天体と我々との間に銀河や銀河団があると、その重力によって遠方の天体の光が曲げられて我々に届くというのが重力レンズです.30億光年の距離にある銀河がレンズの役割をして約100億光年の距離にあるクェーサーが4つに分裂して見えています.約12分の露出です.左の写真の右下ににスケールがあります.そのすぐ上の像ですばるの画像が0.3秒と計算されました.

ヒクソンのコンパクト銀河団

ヒクソンのコンパクト銀河団40

これは銀河が極端に密集している「コンパクト銀河群」のひとつで、ヒクソンの銀河団40番です.約3億光年の距離にあります.15分露出です.

こうした映像をファーストライトで獲得するまでには、実はハワイで様々な準備作業がありました.マウナケア山頂での準備作業のことは一口に申しましたが、実は大変なことだったのです.港から山頂への輸送は道路を交通止めして朝の3時から暗くなるまでかかりました.ドーリーと言う荷台の水平を保つ装置をつけた特殊車両を使いました.この車には車軸が6本、タイヤは24本ついていて、自動制御で百足のように動きます.ごらんの写真は鏡をメッキする蒸着タンク上釜の輸送の写真です.

真空タンクの輸送

真空タンクの輸送

真空タンクの輸送

真空タンクの輸送

建物内の真空タンク

建物内の真空タンク

すばるの鏡は1枚鏡としては世界最大ですから、この直径が9mもあるタンクを真空にしてアルミ蒸着をする作業も世界で始めての作業です.日本での小型タンクを使った実験、現地でテストピースを使った試験と何年も何ヶ月もかかった準備の後で始めて成功が約束されたのです.

望遠鏡への組み込み調整には、機械的な部分と鏡の形を正しく保つ能動支持の部分があります.

望遠鏡組み立て

望遠鏡組み立て

望遠鏡組み立て

望遠鏡組み立て

これは工場での仮組みと、ドーム内で組みあがった姿です.

機械的な部分では2つの鏡の軸がピッタリ合うようにすることと、555トンの望遠鏡が水平方向と垂直方向のモーターを使って天体を正しく追いかけることが必要です.長時間露出をするために、さらに観測機を回転させる装置も動かします.仕様は角度の0.1秒です.角度の0.1秒は数字で言うと0.0000005です. 15mの望遠鏡の筒先がいつも0.007mmの精度で動いている、という信じられないようなことが要求されるのです.

これだけの複雑な難しい仕事なので、私はファーストライトまでに望遠鏡が動けば良いくらいに思っていました.ところが鏡がついてから僅か2カ月で追尾性能0.1秒以下、結像性能0.3秒を達成してしまったのです.

隣にあるケック望遠鏡は有効口径10mとすばるより大きいのですが36枚の6角形の鏡を組み合わせる方式を使っています.各々の鏡の端に隣の鏡との相対位置を測るセンサーがついていて、星像を解析しながら36枚の鏡を制御します.言って見れば落して割ったコンパクトの鏡を元に戻して使っているようなものですから、私は不可能に挑戦しているように思っていました.実際すばるの起工式があった1992年にはケックの星像が3秒とか2秒とか言っていました.それが年を追う毎に改良が進み、昨年秋には0.6秒にまでなったのです.

ケックが7年かけて追いこんだ0.6秒を、複合鏡と単一鏡という方式の違いはあるにせよ、2カ月で追いぬいて0.3秒の精度を達成したのです.私は昨年3月で定年退官し、帰国しましたので望遠鏡完成の最後の瞬間に立ち会うことはできませんでしたが、このニュースを聞いたときはプロジェクトに最初から関わっていたものとして、涙が出るほど嬉しく思いました.

三菱電機の技術力と情熱を称えたいと思います.これからエアコン、通風窓、鏡面送風等々を使って行けば仕様の0.23秒を達成するのも時間の問題でしょう.もちろん国立天文台スタッフもここまで持ってくるのに大変な努力を重ねて来ました.また建物を担当した大成ハワイ、鏡材を作ったコーニング、研磨したコントラヴェス、大きな部品を担当した日立造船、川崎製鉄、なども献身的な努力をしてこの日を可能にしてくれたのです.

ファーストライトはしかし序の口です.ファーストライトの試験観測用の器械で基本性能は実証されたのですが、これから数年掛けてニコンの高分散分光器、キャノンの主焦点カメラなど幾つもの観測機が設置されて動きます.それが期待されたように動くためには今まで以上に大変な作業が必要になるでしょう.

これから何をするか

さて、このように立派なものができたのですが、これで何を見るのか皆さんも関心をお持ちでしょう.この点についてお話したいと思います.皆さんは星空を眺めて「宇宙は広い!」とか「宇宙はロマンチックだ」とか思われたことがあるでしょう.現在私は東京と鹿児島の純心女子大学で天文学の講義を持っています.受講する学生も「星が好きだから」とか「宇宙はロマンチックだから」とか言っています.確かに満天に星が見えるところに行けば人生の苦労などはなんとつまらないものだろう、とおおらかな気分になります.しかし、天の川を別とすれば、私達が肉眼で見ている星たちはせいぜい6等星までで、平均すると数百光年の距離にあります.銀河系の大きさの、実に100分の1しか見ていないのです.宇宙は銀河系のさらに10万倍のスケールです.ガリレオ以来人類は遠くのもの、暗いものを求めて大きな望遠鏡を作りつづけてきました.すばるはガリレオが土星を見た望遠鏡に比べて数万倍も多くの光を集めるのですが、宇宙の広さを考えるとまだまだ足りないくらいだということがお分かりいただけるかと思います.

すばる望遠鏡で期待できることはたくさんあって何を紹介して良いか迷います.あえて2つ3つを選んで見ます.

宇宙の果て

アベル851

アベル851

1月末のファーストライトの報道でハッブルの最深宇宙像とすばるで撮った写真を比べていました.ハッブルで写っている天体はすべて見えていて、ハッブルに無い天体も見えていたのをご記憶の方もいらっしゃるかと思います.ここでハッブルとすばるの速さの比較をして見ましょう.ハッブルの視野は2分角、すばるはその100倍を一遍に撮れます.ハッブルは140時間かけました.すばるはその数分の1で撮れるはずです.遠く宇宙の果てに近い天体が続々と発見されるでしょう.

太陽系外の惑星

ダストリング

ダストリング

太陽ではない恒星が惑星を持っているかどうかは今大変ホットな話題です.地球以外に生命が存在するとすれば、太陽系以外にも惑星が存在しなければなりません.スペクトルのずれの時間変化から惑星の存在を証明する方法もありますが、ステラーコロナグラフによる直接像で原始惑星系のもとになるダストリングを見る方法も有力です.星とそれを取り巻く塵の円盤があるとき、星の光が円盤より一万倍ないし100万倍くらい強いので普通の方法では円盤を見ることは出来ません.星の像が出来るところにマスクを置いて星を隠してやれば円盤が見えてきます.しかし、星の像は鏡の面の粗さがあると裾を引いて広がるので鏡の研磨がどこまで出来ているかが問題になります.すばるの鏡は平均粗さが0.012μmと8メートル級では最高の仕上がりになっているので、散乱光が少なくこの種の観測では威力を発揮します.

太陽系の小天体

小天体

小天体

海王星、天王星、冥王星より外には惑星になりそこねた石ころが沢山あって、時々太陽の近くまで迷い込んで来て彗星になると考えられています.すばるの主焦点カメラは広い視野をもっているので、こういう天体を検出するのにはうってつけです.他の望遠鏡で5年10年かかっていた仕事を数ヶ月でこなしてしまうでしょう.

このようにすばるには、宇宙の未知の世界を切り開く可能性がおおいに期待されています.

また、たくさん望遠鏡があったらやることがなくなるのではないかと心配される方もいらっしゃるでしょう.その方たちのために説明しておきます.

北斗七星

北斗七星

これは皆さんお分かりですね.北斗七星です.ここには約6等星まで写っています.この中の枠で囲った所をパロマーの5m望遠鏡に併設されている口径1.5mのシュミット望遠鏡で撮ったものが次のスライドです.

パロマー天図

パロマー天図

ここには21等級の星まで写っています.つまり、眼で見えるもっとも暗い星の100万分の1の明るさの天体まで見えています.ここにもまた枠が書いてありますね.その中に幾つ星がありますか.3つです.ここにスペース望遠鏡科学研究所所長のボブ・ウィリアムズはハッブル望遠鏡を向けたのです.次のスライドにそれが示されています.

1辺お月様の直径の10分の1に約3500個の銀河が写っています

よく注意してみてください.皆細長い形をしていますね.銀河なのです.パロマ天図よりさらに100倍以上暗いものが見えているのですが、そうなると見えてくるのは星ではなくて何億光年、何十億光年も先にある銀河なのです.この写真には約3500個の銀河が写っています.この数年間はハッブルのこの写真にある銀河をケック望遠鏡と言うすばるの隣にある望遠鏡が詳しく調べる毎に、世界中の天文学者が興奮したものです.

この写真の大きさは2.7分角ですから1辺はお月様の直径の10分の1、面積では100分の1です.もし全天をこのように撮影するとすれば35万年かかる勘定になります.すばるは鏡の大きさの分だけ早く写り、また検出器の大きさが100倍あるので能率よく仕事ができますが、それでも全天を撮るとなれば数百年かかります.8mクラスの望遠鏡が10台近く動き始めても仕事が無くなることはない、と言うことはお分かりいただけるでしょうか.

ケックを抜いたことをおおいばりで話しましたが、ケックは今ハッブルと組んで大活躍しています.すばると時を同じくしてアメリカ他5カ国共同のジェミニ望遠鏡2台、ヨーロッパ南天文台のVLT4台と6台の8m望遠鏡が動き始めます.21世紀の天文学の新発見に日本もおおいばりで貢献できる日がようやくやって来ました.

天文学者としての思い

私は天文学者としての人生の後半をすばる望遠鏡の建設に捧げることができて本当に良かったと思っています.プロジェクトの中での私の働きに付いては最近文芸春秋社から出版された小平桂一国立天文台長の「宇宙の涯てまで」に幾つか記述があるので、興味のある方はお読みください.私自身は昨年退官したので自分ですばるを使って仕事をすることは多分無いでしょう.しかし、日本の天文学界には若い優秀な人達が大勢います.彼等が世界に伍して、いや世界をリードしていく基盤を作ったことで満足しています.

すばるプロジェクトが始まるまでは私は星を観測し、解析し、論文に書き、発表し、と言う研究生活を送っていました.しかし、望遠鏡計画が始まると調査、設計、会議、交渉等に時間を使はなくてはならず、論文も望遠鏡の光学設計しか書いていません.そしてハワイに常駐するようになってからの6年間はオフィス、雑誌、図書、同僚等すべて無い環境で過ごしたので、研究どころか天文学の世の中で何が話題になっているかも知らずに過ごしたのです.

そういうわけで、退官帰国してから天文の世界をのぞいてみると、進歩が烈しくてまるで浦島太郎になったような感じです.ハッブルの最深宇宙像、COBEによる宇宙背景放射のゆらぎ、重力レンズ、銀河中心のブラックホール、宇宙の暗黒物質、マッチョ探査、太陽ニュートリノ、超新星ニュートリノ、宇宙の泡構造、銀河間物質からのX線放射、日震学による太陽の内部構造、X線パルサーの周期変化による重力波の証明、「はるか」による人工衛星を使った超長基線電波干渉計、「ようこう」のX線望遠鏡による太陽フレアの生成機構、太陽系外の惑星系、等々数え切れないほどの話題があります.このうちの幾つかに付いてはすばるの観測が答えを出してくれるでしょうし、また、すばるの観測によって新しい問題が提起されるでしょう.

山口志摩雄先生の想い出

さて、山口志摩雄先生の話で締めくくりたいと思います.高校3年の頃、先生が「成相君、これを読んで見たまえ.」と押入れの隅から引きずり出して貸してくださった本に、「パロマーの巨人望遠鏡」がありました.

パロマーの巨人望遠鏡

パロマーの巨人望遠鏡

これは1949年以来実に半世紀にわたって天文学の最前線を切り開いて来たパロマーの200インチ望遠鏡建設のドキュメンタリーだったのです.ジョージ・エラリー・ヘールの宇宙の果てへの情熱、世界最大の望遠鏡作りへの技術者の挑戦の話に胸をときめかしたものでした.すばる計画を始めた時のリーダー、小平桂一国立天文台長も高校生の時にこの本を読んでいます.計画当初に私がした仕事の一つは、この本の訳者を探し出してその人の物置から10冊ほど頂戴して持ちかえり、すばる計画のスタッフに読ませたことでした.

山口志摩雄先生

山口志摩雄先生

計画が本決まりになる少し前、騎射場のお宅にお邪魔したときに、「成相君、僕はね、今漢文を読んでいるんだよ.ご先祖様は漢文で勉強をしておいやった.僕はもうじきあの世に行くことになるが、そん時に論語とか孟子とかを読んでなかとご先祖様と話ができんじゃろが.ハッハッハ.」とおっしゃっていました.生涯を通じて常に何かを勉強するその山口先生の姿勢には頭が下がる思いでした.

私も計画の一員であったすばる望遠鏡が出来上がり、世界の天文学の最前線に日本が踊り出る日が来たことを先生にもしご報告できれば、先生は多分漢文の本を手にとって「ようやった.成相君.ハッハッハ.そいどん、君、そろそろこれを読んで見らんかね.」とおっしゃるのではないでしょうか.その時は「先生、あと2、30年ばっかい待ったもんせ.すばる望遠鏡の成果がでるのを見届けたらそちらの勉強も始めますから.」と言う積もりですが.

さて、これで今日の私の話は終わりです.最後にマウナケアでの天体ショーを2つお見せしましょう.

ヘール・ボップ彗星

ヘール・ボップ彗星

マウナケアの影

マウナケアの影


Special thanks to Dr.Nariai (Professor Emeritus of National Astronomical Observatory of Japan) for providing the script and slides.


counter
Since 2000 May 12th