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ブラザー・フィリップのお通夜と追悼ミサ



12月28日にフィリップの親戚と同僚のブラザー達がオッタワの斎場に集まりました。
亡骸を納めた棺の蓋は外してあり、近くに住む友人と親戚がフィリップに最後のお別れをし、遺族に対してお悔やみの言葉を述べました。
たくさんの方々が参加しました。米国のデトロイトやカナダのウィンザーから駆けつけてきた親戚もいました。カナダのカルガリーに住む日本人ヒラガ・マサオさんも2、3日こちらに滞在して大切な友の通夜に参列して祈りを捧げてくださいました。
ブラザー・アンドレ・ラベルも函館から来てくださり、日本のブラザーを代表して参列した人たちに挨拶してくださいました。

フィリップの亡骸は12月30日に荼毘に付されました。お骨は三つの骨壺に分けられました。一つはオッタワのブラザーのお墓に納められます。そのお墓はノートルダム霊園にあり、オッタワ地区のラ・サール会のブラザー達が眠っています。残りの二つの骨壺は、仙台および東京のブラザーのお墓にそれぞれ納められます。

1月5日、遠路はるばる鹿児島からお通夜と追悼ミサに参列するために駆けつけてくださった窪田雅信(訳注:鹿児島ラ・サール17期)さんを空港に出迎えました。

1月6日の夕方、三つの骨壺がオッタワのラ・サール会修道院のチャペルに安置され、夕べの祈りが捧げられました。私たちはうちうちに2、3時間の祈りを捧げた後、午後8時30分からラ・サール会の祈りに加わりました。窪田さんがラ・サールの卒業生を代表して告別の辞を捧げてくださいました。彼のスピーチを添付いたしましたのでお読み下さい。

フィリップの悲報を知った教え子や友人達から、お悔やみの言葉、友情にあふれたメッセージ、フィリップの想い出の数々を記したEメールをいただきました。私はそのメッセージの多さと友情の深さに感銘を受けました。

お花もたくさんいただきました。そのお花はチャペルに安置された骨壺の周りに、そして翌日には教会に飾られました。参列した人たちは、美しいお花のおかげで、お通夜と追悼ミサのしめやかな雰囲気が深まったと喜んでいました。「ラ・サール・ロッジの仲間」という署名のある花束もありました。以前にメッセージをいただいていたのでお名前を存じ上げている方々(大矢真理子さま、込山芳範さま、尾越敏子さま、荻野節子さま、中村和子さま、鈴木千夏さま、青山幸子さま、それから宮脇章郎・篤子ご夫妻)からの花束です。それから仙台のノザワさま、セキモトさま、コバヤシさま、ハラさま、イワブチさま、オオミさま、函館ラ・サール同窓会(サイトウ・ヒロシさまのご署名)、スズキ・ヤヨリさま、鹿児島ラ・サール同窓会(野田健太郎さま)からも花束をいただきました。もし、お名前に書き間違いがありましたらごめんなさい。こちらの花屋さんは日本人の名前に慣れておりませんので。もし、みなさんのお名前に間違いがありましたら、お詫び申し上げます。

カトリック様式で行われた追悼ミサは、それはもうとても美しく、感動的で、フィリップにふさわしいミサでした。合唱隊が美しい賛美歌を何曲か歌って、ミサに参列してくださった方々の前で、窪田さんが再び追悼の辞を捧げてくださいました。参列者全員、窪田さんのスピーチに感動しました。窪田さんからは、追悼の辞、お通夜、追悼ミサと教会の写真を収めたCDをいただきました。
祭壇の前に安置され三つの骨壺。どうして三つに分けられたか、参列した人たちに説明がありました。

1月9日の朝、吹雪(フィリップは雪が大好きでした!)がおさまった後、兄のロジェと親しかった友人達2、3人と私とで、ノートルダム霊園に納骨に行ってきました。

私は、3月、残りの二つの骨壺を届けるため日本を訪れ、追悼式と偲ぶ会に参加します。

お悔やみの言葉、友情のこもったメッセージ、花束を送ってくださった方々に、そして祈りを捧げてくださった方々に、あらためてお礼申し上げます。

この悲しみのさなか、ずっと、みなさんと身近に同じ気持ちを分かちあうことができました。

ブラザー・モーリス・ラポヮント

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