日本のラ・サール会修道士とフィリップの友人のみなさんへ
(2005年)12月21日、ブラザー・フィリップは、クロス・カントリー用の新しいスキーを試してみようと、ラ・サール会の会館からさほど遠くない公園へ行くことにしていました。
いつものように朝の散歩をし、正午も普段と変わりなく、オッタワを訪れていたナイジェリアからのブラザー達の相手をしていました。午後2時頃(日本時間:22日午前4時頃)、一人で公園へ出かけました。私は書類作成のためパソコンに向かっていたので同行できなかったのです。翌22日の朝には、フィリップと一緒に、右足の手術を終えた姉をモントリオールからオッタワに連れて帰ることになっていました。
公園で何が起こったのか、正確なところは分かりません。心臓発作が襲ったらしいのです。後で警察が確認してくれたことは、次のとおりです。
・RCMP(連邦警察)の巡査部長が仕事を終えて帰宅する途中、道に倒れているフィリップに対して
誰かが蘇生を試みているのをみかけた。
・巡査部長が口移し人工呼吸と CPR(心肺機能蘇生)を試みたが、うまくいかなかった。
・同時に呼んだ救急隊が15時10分に到着。搬送先の病院でもフィリップの蘇生が試された。
18時に警官が私のところにきて、病院まで送ってくれました。そこでフィリップの死が確認されました。検死官が検死解剖を行い、心臓発作であったことが分かりました。急性であり、前々から心臓発作の徴候があったわけではないことも分かりました。
木曜日(22日)は、姉や兄、家族への悲しい連絡で一日が過ぎました。
フィリップのパソコンを開けて日本の友人の連絡先を捜しましたが、Eメールのアドレス帳はみんな日本語で書かれてありました。そこで、ブラザー・マーク・マヒュに電話しました。ブラザー・マークは、仙台の大友先生のご協力を得て、何人かの方々に連絡したようです。
フィリップの友人からEメールや電話をいただきました。
電話を下さった方は英語を話されました。残念なことにいくつかの電話は通じなかったようです。「不在着信あり」という表示はありましたが、原因は不明です。もし、みなさんのなかで通じなかった方がいらっしゃいましたら、お詫び申し上げます。
フィリップの遺体は、12月28日の午後と夕方に葬儀場で公開安置されます。
安らかなフィリップに会えるのはこの日が最後です。この公開安置は、主に近くの友人と家族のためですが、メッセージはご遠慮なくお送り下さい。みなさんからいただいたEメールのメッセージを印刷して遺体の近くにお供えします。その後、フィリップの遺体は火葬に付されます。
(2006年)1月6日に遺骨を納めた骨壷がオッタワのブラザー・ハウスのチャペルに納められ、夕方には、個人およびラ・サール会のお通夜が行われます。
おごそかに、静寂と祈りのなかで…。
お葬式は、1月7日(土)午前10時、カトリック教会のミサとして、オッタワの聖アンヌ教会で執り行われます。その後、遺骨(の一部)は、家族によりオッタワのノートルダム共同墓地にあるブラザーの墓所に納められます。
フィリップ(享年72歳)は、47年間を日本で過ごしました。それは幸福と自己実現と達成感にあふれた歳月でした。
フィリップは、数多くの方々と、心からの、絶えることのない友情の絆を結ぶことができました。
彼は、みなさんとの友情をとても大切にしていました。
カナダに帰国したにもかかわらず、みなさんが友情を絶やさなかったことを、とても幸せに感じていました。
みなさんのことを激賞していましたよ。日本のお友達の全員のことを褒め称えていました。
そして、みなさんからのお便りや電話についても逐一話していました。
フィリップに代わって、また、フィリップの家族、ここに住むブラザー達に代わって、そして、私個人からもお礼申し上げます。みなさんがお寄せくださったフィリップへの「誠実・友情・ご好意」に感謝申し上げます。
どうぞ 遠慮なさらず、電話かEメールでご連絡ください(申し訳ありませんが、英語かフランス語で)。下に連絡先を書いておきます。
あらためてお礼を述べます。
みなさんは、私の弟:ブラザー・フィリップに温かい友情を寄せてくださいました。みなさんのおかげでフィリップは幸福感と達成感に満ちた生涯を送ることができました。
心から感謝申し上げます。
ブラザー・モーリス・ラポヮント(ラ・サール会)
住 所: Brother Maurice Lapointe 89, Stewart Street Ottawa, On CANADA K1H 6H9 F A X: country code 1, area code 613 then 234-9492 電話/携帯電話/Eメールアドレスについては、 嶋田道也@鹿20期までお問い合わせください。
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