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ラ・サール高校をたずねて

(昭和25年5月10日付 西日本新聞 鹿児島県版)

【註】原文は旧字体でしたが,常用漢字体に変更し,読みやすさを考えて,句読点等を補っています.


こちらに原文(旧字体)があります



Nishi-nippon news

(新聞をクリックすると少し時間がかかりますが[4.7MB],大きな写真が見られます)
(マイクロフィルムからのコピーを提供いただいた西日本新聞社に感謝いたします)



リード文("LA SALLE HIGH"の文字列による四方囲み)
近代教育の父といわれるフランス人聖ジャン・バプティスト・ド・ラ・サール師によって創設されたカトリック系教育団体、ラ・サール教職会の日本最初の学校として4月10日開校したラ・サール高校は、ゆがめられた世相に禍いされて各地にひんぴんと障害事件や桃色事件など学園の不祥事件が発生しているなかに、厳正な規律と従順とを高く標榜して清純な気風をかもし出している。
200余名の生徒が、輝く十字架を象徴した校章のもとにつどう希望の学園、鹿児島市外谷山町のラ・サール高校をたずねてみた。



教会風の建物
木の枝でラ・サール・ハイ


桜島を正面に眺める錦江湾のほとり、白砂青松のなかに古めかしい教会風のコンクリートの建物がある。校門を入ってすぐ左手の掲示板には、木の枝を組合わせてつくったラ・サール・ハイの文字が白く浮き出し、素ぼくな印象をあたえている。この建物は、かつてカトリック教会であったのを1,000万円を投じて学校に改修したもので、校舎の正面に十字架を型どった校章がとりつけられ、校庭を見回しても紙くずひとつ落ちていない。

校長は32歳の若さ

校長のマルセル・プティ氏はまだ32歳。つねにほほえみをたたえたまなざしで「私の教育のプログラムは道徳的、社会的かつ知的に調和のとれた完全な人格を養成することです」と語り、また「この学校のカトリック的な空気は決して教師と生徒に宗教の信仰を強制するものではない。ただ、今は一部で行われるような破壊的、扇動的な思想はカトリックの普遍人類的原理に逆行するものとして許しえない」と説明する。

時計の音さえ聞こえる

廊下を歩くと整然と帽子かけにかけられた生徒の帽子。波の音にまじってチクタクひびく時計の音など、これが男の学校かと思われるくらいしずかである。職員室には、窓に金網が張られ、机は一列に教室の生徒の机のように並べられ、先生たちはここで勉強しているが、外人教師の机の上が整然と片づけられているのにくらべ、日本人教師の机の上が弁当がらやカバン、参考書などで雑然としているのも面白いコントラストを示している。職員室で、先生たちが茶のみ話に花を咲かせていると「掃除が終わりました」などといって生徒が入ってくる日本の学校のような風景は見られず、先生たちの勉強をじゃましないように、ここの生徒たちは直接職員室に入ってくるようなことはしない。事務室の前に備えつけてあるベルを押してボーイを呼び、所用のある先生に取りつぎをたのんで応接室で会うという規則で、廊下で話をすることも禁じられている。やがて放送設備ができあがれば、時割はラジオの時報と同じように報じられ、授業開始や休憩時間はきわめて正確に守られる。

先生は大学教授級
図書室には洋書が3,000冊

実験用具や暗室も完備された階段式の化学教室、近く電蓄やレコードもそろえるという音楽教室、カナダのラ・サール会から送られてきた洋書3,000冊と新しく購入した日本書2,500冊が書棚にぎっしり詰まった明るい図書室など、完備された学校の施設と絶好の環境、そして、校長のほか、イポリット・レミール、フェルジナン・ジャンドロンの両ラ・サール会修道士をはじめ、日本側から15名の大学教授級の教師を集めていることなどもこの学校の持ち味を生かしている。

一ヶ月で会話も上達

毎日日課のはじめには、必ずマルセル校長の5分間の英語の訓示があり、一週間のはじめには、掲示板に「ラ・サールの生徒はほほえむ少年」とか「ラ・サール高校はよい生徒ばかり」などという絵入りの英文ポスターが掲示されるのが習わしとなっているが、開校約1ヶ月というのに、生徒が外人教師を見かけては英語で話しかけるほど、語学の力はぐんぐんのびている。

粒ぞろいの生徒の質

重成知事の長男致君や昨年学生英語弁論大会に鹿児島代表として出場した天保山中学の池見清志君も1年に在学し、昨年の子供の日に選ばれた少年知事、少年市町村長も6人、この学校に入っている。3人に1人という県下高校第一の競争率を突破してきただけあって、生徒の質もつぶぞろいで、甲南高校などから2年生に編入学してきた生徒らは「この学校にはへんに不良じみた生徒は見当たらず、みっちり勉強できるようになった」と喜んでいた。
「われわれは、生まれながらにして学者ではありません。ただひたすらに勉強することによってのみ、学問ある人になれるのです」と教える校長は、毎日7時間の授業が終ったあとで、校長室に習いにくるものがあれば、たとえ一人でも手を取って教える。一日のうちにできるだけ多くの生徒と少しでも話したいという校長は、決して規則一点張りで固められたような人ではなく、ときには生徒をモデルにつかって、校内のあちこちで写真をうつしてまわることもあり、「そのポーズで」とか、「本を手に持って」などとポーズに注文をつけて興ずるようすは見るからになごやかである。

畳も真新しく、机も新調
松林の中の寄宿舎は月1,500円

学校の建物から200mばかり離れた松林のなかに、旧島津別邸をそのまま使った寄宿舎がある。各部屋とも真新しい畳が敷きつめられ、机も全部新調で、50名の生徒が生活しているが、主食は一日に4合平均。肉や魚もふんだんに食べられて、舎費は1ヶ月1,500円。食事は校舎のそばの食堂でとるが、窓や入口には全部緑色の金網が張りめぐらされていて、衛生設備も至れり尽くせりだ。来年は、さらに2,000万円の工費を投じて鉄筋コンクリート2階建て6教室と講堂、さらに、現在の2階建ての上に3階をつくり、特別教室2教室を造る予定で、設備はますます充実されていく。

資金は信徒の浄財

しかし、この巨額の建設資金は決してありあまった金をもってきたのではない。カナダで信徒から1ドルずつ集められた寄付金が実ったもので、なかには暮らし向きの楽でない人々の浄財も入っているといわれ、ラ・サール会の熱意にこたえるため、日本側でも浄財を集めようと、後援会結成の空気がもちあがっている。さらに、将来は敷地もぐっと拡張され、高校のほか、付属中学、職業的高校も併設される計画で、ラ・サール高校は、名実ともに教育県鹿児島のなかでも異彩を放つものとして大きな期待がよせられている。

スムーズな生徒大会

記者が訪れた日は、ちょうど生徒の校友会結成大会が開かれていたが、運動部や語学部など、結成の発起人となった生徒は、目的と予算を3分間で説明するというスムーズな運営ぶりで、ラ・サールの特徴をなす国際通信部、そのほか海外切手収集、語学部(英語、仏語)なども設けることになり、海外の学友との手紙の交換も盛んに行われるようになることだろう。学校新聞については、むしろマルセル校長のほうが熱心で、近く刊行されるというが、恵まれた環境のなかで、勉強に、また、運動にはげむ生徒たちの顔は希望に満ち満ちている。 校庭では、真新しいグローブの間を野球のボールがとび交い、教室の窓からはスマイル・ボーイズの合唱が風にのって流れてくる。折りしも雲間をもれる光ぼうが雄大な桜島を照らし出し、希望の学園は明るい光につつまれた。(山田記者)



※写真について


Nishi-nippon news 03


・写真1 (紙面上方)
木の枝でラ・サール・ハイの校名
見上げる生徒2人の後ろ姿越しに,白(?)字で"LA SALLE HIGH"とかかれた看板あり.

・写真2 (紙面左中央)
ラ・サール聖師の立像を背に校長室で教えるマルセル校長
窓外には林.窓の右の壁には,子供に寄り添うラ・サール師の立像.その前にプティ先生と生徒が椅子に座っている.2人の手前にはテーブルがあるが,2人とも椅子の方向を変え,半ば向き合っている.2人とも笑顔で語りあっている.

・写真3 (紙面右下方2枚のうち、上)
完備した図書室
書架(ぎっしりと書籍が詰まっている)の前に後ろ姿の生徒1人,テーブルに1人の生徒が着座して何かを読んでいる.

・写真4 (紙面右下方2枚のうち、下)
二列に並んだ机で勉強する職員室の先生
長い戸棚の前に1人立っている.その手前の机(1列のみ見えている)3つにはそれぞれ職員が着席し何かを読んでいる.2人は背広姿,1人はスルタン.

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原稿解読 沖崎章夫(鹿24期)
監  修 隈部敏郎(鹿19期)
ウェブ化 鶴田陽和(鹿19期)
協  力 吉田 宏(鹿24期,西日本新聞社)
 鶴丸泰久(鹿2期)


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