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(鹿児島校同窓会誌「小松原」vol.30 原稿)

ラベル先生の在日50年を祝う

〜記念講演会・懇親会を開催〜

講演中のラベル先生

昨年(平成18年)10月28日(土)、東京・四谷の上智大学において「ラベル先生、在日50周年記念講演・懇親会」が開催された。

現在、函館ラ・サールでご活躍中のラベル先生(76歳)だが、1956年(昭和31年)にカナダから来日されて、平成18年でちょうど50年になるのを記念して、鹿児島・函館両校の東京同窓会の共催により開催されたもの。

当日は、秋晴れの天気に恵まれ、近郊だけでなく、わざわざ函館や鹿児島から駆けつけた方もおり、卒業生、そのご家族、PTA関係者等、約100名の参加となった。

15時から講演会。ラベル先生のお話は面白く、みなさん、先生の50年にわたる「日本での足跡」を熱心に聴き入っていた。質疑応答を含めて約1時間、なかなか好評であった(末尾に、講演内容を掲載)。

続く16時からの懇親会も盛況。終始和やかなムードで、途中で参加者のコメントを記した色紙や記念品(腕時計)、秘蔵写真等が先生に贈呈された。 いろんなグループごとに記念写真を撮ったり歓談したりと、あっという間の2時間。最後に、全員で輪になり、♪ラ・サール讃歌、♪It's A Long Way〜を歌ってお開きとなった。



【ラベル先生の講演内容】

1.はじめに

はじめに、この場を用意してくださったことに感謝申し上げます。

2.来日した頃

日本には、1956年9月5日、横浜に貨物船で到着しました。船酔いで、5日間ぐらい参りました。横浜には迎えが来ており、東京・代々木上原の修道院に案内され、そこで初めて刺身と日本酒をご馳走になりました。刺身も日本酒もおいしかった。それから箸の練習(豆拾い)もしました。

3.日本における生活

東京では14年間過ごしました。2年間日本語の勉強をして、6年間学生寮の舎監をしました。

仙台では2年間、東北大に通って日本語の勉強をし、3ヶ月だけでしたが、児童養護施設の園長を務めました。

鹿児島では15年間、倫理を、函館では18年間過ごし、倫理、宗教を教え、校長を11年間務めました。

学生寮の20名の寮生は家族のようでした。1年生は「奴隷」、2年生は「労働者」、3年生は「人間」、4年生は「神様」と言っていましたよ。寮生たちは児童養護施設の後援会活動に精を出し、その資金確保のためにコンサートを催したりしていました。

上智大学で4年間、フランス語の講義をしたこともあります。

それから、Movement for A Better World という大人の活動に参加し、6年間ベトナムなどの東南アジアに行っておりました。

4.挑  戦

私は、4つのことに挑戦しました。

最初の挑戦は日本語。最初はローマ字で習いました。漢字は読めますが、書けません。

次の挑戦は英語でした。Movement for A Better World の活動はほとんど英語でしたので、読み書きはできますが、英語で話すのは下手です。

それから、宣教師としての仕事。20歳のときに自ら志願してローマに行き、宣教師としての仕事につきました。まだ若かったので、宣教師になるためには親の許可が必要でした。わたしは5人兄弟の長男でしたが、母は「神様の御旨だったら反対できませんね」と言って私の希望を認めてくれました。

まずトーゴに赴任し、米国で1年間英語の勉強をした後、日本に赴任しました。
宣教師として日本に来たのですが、最初「私は日本に何をしに来たのだろう」と悩みました。

日本人は親切で、すばらしい民族です。日本人の心には神様の心が働いている、と思い、神様の働きの手助けをしようと考えました。多くの生徒の家の宗教は仏教だけど、生徒は仏教を知りません。

そこで、キリスト教を紹介すれば、若いときは分からないが、人生経験を積むとイエスの教えが参考になるのではないか。日本には自殺が多い。苦しいときでも一人ではない、神様がついているということを分かって欲しいと。

日本の生活は素晴らしいです。カナダに帰りたいと考えたことは一回もありません。私の使命は終わっていません。今も幸いなことに、週に5時間授業を持っております。

4番目の挑戦は校長の仕事でした。これは11年間勤めました。函館ラ・サール中学校設立の準備は大変で、自分ではなにもできませんでしたけれど、先生方がよく協力し支援してくださいました。

校長になってから、PTAの大切さを知りました。母の会で聖書を教えました。保護者、先生、同窓会がよく協力してくださいました。
ラ・サールの同窓会は海外にも眼を向けています。すばらしいです。私はとても恵まれていたと思います。

講演会に集まった皆さん ☆ 熱心にメモを取る姿も


【質疑応答】

Q:初めて鹿児島に来たときの印象は?

A:校庭まで海が来ていたのでびっくりしました。満潮のとき泳ぎました。
大雨のとき、校庭が湖のようになり、水面に桜島が映っている眺めがすばらしかった。
海と桜島。桜島は一日に7回、色が変わります。
それから生徒がよく勉強することにも感心しました。これはカナダでは考えられない(爆笑)。でも校舎は貧しかったですね。

Q:マタイでは「精神的に貧しい人は幸い」とありますが、ルカでは「(物質的に)貧しい人は幸い」と書いてあります。これはどういう意味でしょうか?

A:共同訳では「心の貧しい人は幸い」となっています。これは自分が弱い、限りある、罪を犯す人間であることを知り、神様、見えない世界に頼って生きる人は幸いということです。

Q:昨年マニラのWorld's Conventionに招待され、「これからのLasallianはブラザーと一緒にどのように世界とかかわっていったらよいか」という設問がなされました。先生はどのようにお考えでしょうか。

A:修道士の数が少なくなっていますので、卒業生と職員の出番だと思います。
信者でなくてもできることはたくさんあります。人を大切にすること、他人を思いやる、貧しい人や子どもたちに手助けをすることが大切です。
キリスト教では「自分の命を捨てるほど大きな愛はない」と教えています。水俣病に病む子どもを20年間看病したお母さんがいました。このお母さんは聖人だと思います。
祈りは言葉でも行動でもない。まず、祈りは心の姿勢です。見えない世界、心の世界を重んじる姿勢です。
函館の寮では夜、黙想の時間があります。授業中にも、全校集会でも黙想をさせます。孤独と沈黙、内省(自分を見つめること)が大事です。
自分で自分の宗教を選んで勉強して欲しいです。プリント「見えない世界のすすめ」を配りましたのでお読みください。
一人ひとりが自分の心の世界を探して欲しい。良心の声は自分なしにはありえない。しかし、その声は自分だけのものではない。その声は自分に要請します。その声はどこから来るのか考えて欲しいと思います。

(文責 鹿児島20期 嶋田 道也)


幸いな人
(マタイ5・3〜10)
(講演時配布資料)

  
自分の貧しさを知る人は幸いである、
天の国はその人のものだからである。

悲しむ人は幸いである、
その人は慰められるであろう。

柔和な人は幸いである、
その人は地を受け継ぐであろう。

義に飢えかわく人は幸いである、
その人は満たされるであろう。

あわれみ深い人は幸いである、
その人はあわれみ受けるであろう。

心の清い人は幸いである、
その人は神を見るであろう。

平和をもたらす人は幸いである、
その人は神の子と呼ばれるであろう。

義のために迫害される人は幸いである、
天の国はその人のものだからである。
  

記念写真

函館校OB、PTA関係者のみなさんと



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 資料提供  ラベル先生(Bro. Andre Labelle)
 協  力  嶋田 道也(鹿20期)
 ウェブ化  鶴田 陽和(鹿19期)
       和田 豊郁(鹿26期)
 監  修  隈部 敏郎(鹿19期)
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