ベオグラードに眠る兄
(2006年10月25日発行「随筆 かごしま」第158号より)
(鹿児島4期 大羽 豪三)
(2006年8月9日記)
異 色 大 使
(クロアチア大使赴任時の新聞記事の紹介)
大羽奎介さんが任地に飛び立つ前の週の1998年5月16日、朝日新聞の夕刊に「異色大使」という記事が掲載されましたが、そのなかで大羽さんのことが次のように紹介されています。
「大羽氏の旧ユーゴ滞在は20年になる。1991年のユーゴ崩壊のときは、欧米諸国が反セルビア感情に流れ、ボスニア承認を急いだのに距離をおいて、ひと味違う政策を進言した。」
「分裂国家を早く承認すると、かえって紛争を深めるとみたからだ。日本政府はボスニア承認に最後まで慎重だった。政治解決を主張した明石康・国連事務総長旧ユーゴ問題特別代表を支えたのも彼だ。」
そして記事の最後は、
「独自な視点が、国際的に評価されるときがくるかもしれない。活躍を期待したい。」
と結ばれており、当時の大羽さんの活躍が偲ばれます。
なお、上に掲載したクロアチアのツジマン大統領と一緒の写真は、赴任後すぐに、つまり、この記事の直後に撮影されたものです。
記事全文を読んでみたい方は、図書館などで
1998年5月16日 朝日新聞 夕刊「窓・論説委員室から」
を探してみては如何でしょうか。
豪三さんの手記にあるように、奎介さんが亡くなられた後、ベオグラード市内に「大羽奎介通り」ができるなど、奎介さんは今でも、ベオグラードのみなさんに愛されているようです。
豪三さんからは、そんな「兄」をとても誇りに思うと仰っていますが、豪三さんだけではなく、われわれ、ラ・サール同窓生として、みんなが誇りに思うところではないでしょうか。
(文責 編集員一同)
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ユーゴの「希望」は永遠に
2002年10月7日 毎日新聞 朝刊「東論西談 ある外交官の死」より
(毎日新聞社の許可を得て転載)
外務省随一の旧ユーゴスラビア通だった前駐クロアチア大使、大羽奎介さんが8月29日、フィリピン・セブ島で脳しゅよう悪化のため、67年の生涯を閉じた。同島に暮らす一人息子の直樹さんは「父の遺志」で遺骨をユーゴ連邦セルビア共和国の首都ベオグラードの墓地に納めた。埋葬式は9月28日に営まれ、日本人やユーゴの知人ら約150人が参列したという。
訃報を聞いたとき、1994〜99年のウィーン駐在時代に旧ユーゴ紛争の取材で故人に接した思い出がよみがえった。大羽さんは昨年3月、外務省を退職後、クロアチアの首都ザグレブで旧ユーゴ連邦崩壊に関する著書の執筆にかかったが、すでに病魔に侵され、果たせなかった。彼の旧ユーゴ地域への造詣の深さを知っているだけに、現代史の大切な証言者を失ったと悔やまれてならない。
大羽さんは65年、法政大からベオグラード大学に留学し、69年に在ユーゴ日本大使館職員として採用され、外交官の道を歩んだ。
当時のユーゴスラビアはチトー大統領の下、自主管理社会主義と非同盟外交を掲げ、ソ連型社会主義に失望した若者たちに夢を与える存在だった。また、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6共和国で構成したユーゴ連邦は、民族間の政治的均衡を保ちながら東側陣営で最も自由で繁栄した国家だった。
しかし、80年のチトー死去、89年の東欧民主革命を経て、91年から各共和国が分離独立した旧ユーゴ連邦の地は、ボスニア内戦(92年〜95年)、コソボ紛争(97年〜99年)など陰惨な戦場と化した。セルビアと共に連邦を継承したモンテネグロも今、独自国家に向かっている。ユーゴスラビアはもはや実存しなくなった。
大羽さんがベオグラードで大使館参事官を務めた95年〜98年、意見を交わす機会がよくあった。印象に残っているのは、日本に多かった自主管理社会主義礼賛でなく、さめた目でユーゴ現代史とチトー時代を見つめていたことだ。同時に愛情も人一倍こもっていた。
「みんな仲良くできたんだ。どうしてこうなったのか。面目ないよね」。顔をしかめ、身内の失態を恥じるかのようにうつむき、赤ワインの杯を重ねた。
米国の強力な介入で収拾した旧ユーゴ紛争については、多くの欧米外交関係者の回想録が出版されている。その数冊を読むと客観的観察に留意した叙述は評価できるのだが、「ヨーロッパの一地域なのに随分突き放した見方をするのだな」と感じる。大羽さんの本なら現地の人々の思いや悔恨をもっとにじませる執筆になったかもしれない。
亡くなる数日前から、大羽さんは日本語でもなく英語でもなくセルビア語だけで語り続けたという。ベオグラードの墓碑銘には本人の名前と、留学生時代の下宿のおばさんがつけた愛称ジェリコが刻字されている。「希望」という意味だ。
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[モスクワ・町田 幸彦]
ザグレブ中央墓地の墓石
「随筆かごしま」スタッフのみなさんと
前 列: 上薗登志子さん(代表)
後列右: 大羽 豪三さん
後列中: 野添佳司子さん(上薗代表のお嬢さん)
後列左: 北方より子さん
【註】
北方より子さんは、鹿児島校24期 松村之彦さんの妹さん。
平成18年4月25日発行「随筆かごしま」(No.155)の編集後記で、
お兄さんについて次のように触れておられます。
この春渡米する兄が「しばらく会えないから」と帰郷した。
近況を報告し、さっそくおふくろの味に舌鼓をうっている。
13年まえにも6年任期で渡米した兄だが、今回は状況が多少違っている。
両親がそれなりに、そして確実に老いているのだ。
「今回は全然帰ってこられないかも…」と兄。
「そうね… 帰ってくるまでは元気でおらんならよ」と母。
兄と両親の胸中を思うと胸がいっぱいになった。
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資料提供 大羽 豪三(鹿4期)
協 力 鶴丸 泰久(鹿2期)
随筆かごしま社
※ 同社は、郷土・鹿児島に薫り高い文化の彩りと潤いをもたらした
として平成17年度「南日本文化賞」を受賞している。
毎日新聞社
監 修 隈部 敏郎(鹿19期)
ウェブ化 鶴田 陽和(鹿19期)
沖崎 章夫(鹿24期)
和田 豊郁(鹿26期)
角 泰孝(鹿37期)
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