Valid HTML 4.01 Transitional


『ジュールさん』の電脳井戸端会議

NHK 宮崎放送局長 佐藤 寿美(鹿児島16期、LS学生寮OB10期)


 「いやあ局長、私もこの年になってパソコン始めたとよ」と70才を少し越えた方が何やら嬉しそうに話しかけてこられた。「かみさんがね、パソコンスクールに通いだしたと思たら、買うてくれとうるそうて」 晴耕雨読の日常の中で奥さんの突然の行動はいささか驚く出来事だったらしい。「どうもね、東京におる3人の孫どんが婆さんとEメールのやりとりをしたいと言うてきたらしうて」 パソコンを買った途端に奥さんが毎日孫たちと交信し始め、やがて夫婦で競い合う様にキィーボードを叩くことになったのだという。幼い頃にはしょっちゅう帰って来たお孫さんたちも、大きくなるにしたがって段々遠くなり、年賀状のやりとりもなかったのが、今は週に最低2回の往復メールが楽しみらしい。「わしの文章は説教臭いとかみさんは文句言うが、孫どんはたいてい喜んで返事くれる。わしのメールの方が若い連中には受けがいいと思ちょるとですよ」

 パソコン、インターネットの利用者数は郵政省の調査で、今や3000万人に近づき、5年後には7500万人を越えるという。「IT革命」と騒がれる世の中の様変わりが進んでいるが、私が一番注目しているのは今までにない「新しい会話」の始まりということである。家族どうしで、友人たちと、趣味の仲間と、更には知らないどうしで、情報の発信・交換・共有が当たり前に進んでいる状況を、ある人が「電脳井戸端会議」時代の幕開けと表現していた。テレビや新聞という既存のマスメディアには真似のできない情報世界が始まっていると、私は密かに怖れている。

 この4月のある日、私のパソコンに突如「ラサール修道院学生寮OBの方へ」というメールが飛び込んできた。200名近くのOBたちに一斉にそのメールが届いたようだが、「ジュールさんのことが中学校の教科書に出てるらしいですね」という内容だった。ジュールさんというのは太平洋戦争前に若くしてカナダから日本にやってきた修道士で、私が大学生時代にいた寮で舎監をやっていた方である。10年程前にガンで亡くなられたが、いつも「ありがとう」「頑張ろう」という二つの言葉を発しながら若い我々を元気づけていただいた。素朴だがやさしいまなざしが忘れられない人である。

 そのメールが登場してから2週間、連日10通余のメールが届くことになった。息子の教科書からその記述を発見したこと、その原作者は井上ひさしさんであること、ジュールさんが戦争中に日本陸軍に長期間拘留されその時の虐待で左手の指が動かなかったこと、彼は戦後そのことに一言も触れず福祉や教育活動を続けられたこと、教科書会社に問い合わせたらこれまでに2000万を越える中学生にその伝記が読まれた可能性があること、ガンを告知されたジュールさんが日本に来て初めて故郷カナダに帰りたいと言ったこと等々。ついにはアメリカの商社に駐在しているOBがその墓参りに出かけ、ジュールさんの親戚にも会うつもりであることなどが次から次へと報告された。

 人生の殆どを日本の若者と接し愛情を注ぎ続けて死んだ一人の外国人修道士の一生がそのメール交換で明らかになっていった2週間、私は天国のジュールさんがあの笑顔で「ありがとう」と言う姿を何度か思い浮かべたものである。

 それにしても発信しているOB達は大部分が世代が違ったり、互いに記憶には残っているが疎遠になっている男達どうしである。その彼らが突然交信しあい、いわば「一つの物語」を共同で作り上げていくプロセスは新鮮な驚きだった。

 これまでテレビや新聞や出版で営々と私達が取り組んできた作業、時代と世界の中に物語を発掘し広く伝えていく仕事を、様々な「電脳井戸端会議」がいともたやすく実現していく可能性に私は驚く。と同時に、一つの発信が次の発信の触媒となり瞬く間に情報が増殖していくこの「新しい会話」の機能を、私はテレビや新聞が吸収できるかどうかに大きな関心を抱いている。21世紀にも私達の仕事が必要とされるかどうかの分岐点だとも思っている。この7月上旬にはNHK宮崎放送局のホームページが動き出す。お孫さんとのEメール交換を楽しむ老夫婦にも、いずれはこの「NHK井戸端会議」への参加を呼びかけるつもりだ。


bacK 伝記へ戻る
History of Bro.Jules
counter
Since 2001 Feb. 2nd